自分の暮らしが、知らないうちに、誰かの暮らしを脅かしている。
そんなことを、どれだけ考えたことがあっただろう。
一般社団法人Earth Companyに関わるようになって、私が衝撃を受けたことの一つです。
毎日、普通に暮らしている。買い物をして、電気を使って、仕事をして。特別に誰かを傷つけようとしているわけでは、もちろんありません。
でも、その何気ない選択の積み重ねが、遠く離れた場所で暮らす誰かの生活を脅かす一端を担っているかもしれない。
しかも、そのことに気づかないまま、暮らしていけてしまう。
それが、私にはとてもショックでした。
例えば、海面上昇が、どこか遠い国の、いつか起こる問題ではなく、自分たちの暮らしや故郷の未来に直接関わっている。
そんな話に触れたとき、私が当たり前に享受している暮らしの便利さと、その向こう側で起きていることが、突然つながったように感じました。
写真を撮るとき、私たちはどこを写すかを決めています。
少し右に向けるのか、左に向けるのか。近づくのか、引いてみるのか。
でも、どんな写真にも、写っていないものがある。
自分が見ている画角の外側で、何が起きているのだろう。
最近、そんなことをよく考えます。
目の前にある商品やサービス。その便利さや安さの背景には、どんな人や土地、自然とのつながりがあるのだろう。
そして、自分が見ていないところで起きていることにも、自分は関わっているのかもしれない。
そして、これは組織でも、似たようなことがあるのです。
自分たちにとって合理的な判断が、別の誰かに負担を押しつけていることがある。
ある部署の効率化が、別の部署の仕事を増やしているかもしれない。
会社の中ではよいことだと思って進めている取り組みが、顧客や地域、社会から見ると、まったく違う意味を持つこともあります。
しかも、そのことに気づかないまま、みんな一生懸命仕事をしていたりする。
誰かが悪いというより、それぞれが自分の見えている範囲で、精いっぱい考えている。
だからこそ、ときどきカメラを動かしてみる。
いつも話している人とは違う人の声を聞く。
自分たちの組織の外側から眺めてみる。
あるいは、少し長い時間軸で考えてみる。
見える範囲が変わると、これまで当たり前だと思っていたことにも、違う問いが生まれます。
台湾のオードリー・タンさんが語る言葉に「Good Enough Ancestor」があります。
次の世代が自分たちで未来をつくっていけるように、せめてより多くの可能性や余白を残す-そんな考え方です。
自分たちがよかれと思って決めたことが、未来の誰かの選択肢を狭めてしまうこともあるかもしれない。
いま見えているものが、世界のすべてではない。
画角の外に、何があるのか。
そこにいる誰かの声を、聞き逃していないだろうか。
人・組織の仕事をする上で、とても大切な画角(捉え方)を教えてもらったと感じています。

